1990年 1990.4.12 【職業野球新聞 1990年4月12日】オリックス古溝克之とダイエー吉田豊彦の両先発の投げ合い。オリは藤井康雄、高橋智両選手の1号ソロ揃い踏み等で3点を挙げると、古溝が2失点完投で凌いで援護に応えた。88年10勝左腕が先発定着すればチームにと... 1990年1990年代
1990年 1990.4.11 【職業野球新聞 1990年4月11日】前年にリーグ5連覇を逃し、雪辱を期す森西武の打線が温まってきた。秋山幸二、T.バークレオ、伊東勤、田辺徳雄の4人が3安打し、全体で17安打2発14得点と打線爆発。近鉄先発高柳出己をKOした。投げては西武... 1990年1990年代
1990年 1990.4.10 【職業野球新聞 1990年4月10日】オリックス・ブレーブス対福岡ダイエーホークス1回戦(グリーンスタジアム神戸)。四番DH門田博光選手が初回にダイエー先発山内孝徳投手から1号2ランを放ち、プロ通算1500打点を達成。試合は両軍小刻みな投手... 1990年1990年代
1990年 1990.4.8 【職業野球新聞 1990年4月8日】巨対ヤ2回戦。試合は2-2のまま延長十二回裏へ。巨先頭打者木田優夫投手がヤ金沢次男投手の直球を振り抜くと打球は左翼席にライナーで飛び込む1号サヨナラソロとなった。投手のサヨナラ弾は史上17本目、セ8本目。... 1990年1990年代
1990年 1990.4.7 【職業野球新聞 1990年4月7日】巨対ヤ開幕戦。4-2とヤ2点リードの八回一死二塁から巨人篠塚利夫二塁手が右翼ポール際に打った同点1号2ランの判定を巡って、ヤ野村克也監督がファウルと主張する猛抗議。判定覆らず延長十四回に巨人がサヨナラ勝ち... 1990年1990年代
1950年代 1952.12.24 【職業野球新聞 1952年12月24日】毎日球団は福島慎太郎社長が辞任すると発表。リーグ発足以降、各球団の持ち回りで担当し、球団社長と兼務してきたパ・リーグ会長も辞任する。同氏は元外務省官僚で、内閣総理大臣秘書官、内閣官房次長を歴任。194... 1950年代1952年
1950年代 1952.11.28 【職業野球新聞 1952年11月28日】毎日球団は湯浅禎夫氏が1953年シーズンから総監督に復帰すると発表。若林忠志二軍監督も一軍監督に復帰する。両者は7月16日のいわゆる「平和台事件」の責任を取る形で同27日にそれぞれ更迭・降格処分を受け... 1950年代1952年
1950年代 1952.11.20 【職業野球新聞 1952年11月20日】球団数削減を念頭に置いたと見られる「シーズン勝率が3割を切ったチームを処罰する」とのセ・リーグ申し合わせについて、勝率3割を下回った松竹ロビンスを保有する「田村駒」の田村駒治郎オーナーが17日に球団売... 1950年代1952年
1950年代 1952.10.18 【職業野球新聞 1952年10月18日】巨人3-2南海/巨人3勝、南海2勝で迎えた日本選手権第6戦。もう負けられない南海は初回、一番蔭山和夫が粘って四球を選ぶと、直後にレギュラーシーズン本塁打0の新人森下正夫が「プロ初」となる2ラン本塁打を... 1950年代1952年
1950年代 1952.10.16 【職業野球新聞 1952年10月16日】南海4-1巨人/巨人が3勝と王手をかけて迎えた日本選手権第5戦。反転攻勢に出たい南海は1点を追う一回裏、四番飯田徳治の適時二塁打で同点にした後、三回には相手失策に乗じて、野選、犠飛、内野ゴロの間に得点... 1950年代1952年