1950年

1950.4.2

【職業野球新聞 1950年4月2日】国鉄が低迷している。プロ参入の遅れから選手争奪戦で後手に回り、開幕からの勝率は1割を超えるのがやっと。この日の対大洋2回戦では先発を早々に諦めて先発要員の成田敬二投手をつぎ込むも、最後はサヨナラ負けを喫し...
1950年

1950.4.1

【職業野球新聞 1950年4月1日】南海打線が開幕から好調。この日の対阪急5回戦でもプロ野球黎明期からのベテラン野口二郎投手から小刻みに加点し、終わってみれば2ケタ安打に足を絡めて大量8点を奪い、チーム打率も.280に乗せた。投手力もあり、...
1950年

1950.3.31

【職業野球新聞 1950年3月31日】立大から近鉄パールス入りした新人五井孝蔵投手がNPB史上10人目のプロ初登板初完封勝利を達成。シュートとドロップで散らしながら9回を5安打にまとめる打たせて取るピッチングで、強打を誇る毎日オリオンズ打線...
1950年

1950.3.30

【職業野球新聞 1950年3月30日】この日は中堅に入った「クマさん」こと大阪タイガース後藤次男選手が松山市営球場で行われた大洋ホエールズ戦で5安打3本塁打2二塁打5打点と打棒爆発。1試合16塁打はセ新記録。3本塁打いずれも異なる投手からの...
1950年

1950.3.29b

【職業野球新聞 1950年3月29日】中日ドラゴンズ近藤貞雄投手が対西日本パイレーツ戦でNPB史上33人目となる通算1000投球回を達成。8安打1失点完投で2勝目を挙げた。打撃でも3安打1打点とチームを鼓舞して西日本に大勝した。事故による負...
1950年

1950.3.29a

【職業野球新聞 1950年3月29日】この日静岡県営草薙球場で行われた対巨人戦七回一死、広島の七番黒川浩投手が打席に入る場面で九番山崎明男捕手が誤って打席に入ってしまう珍事。山崎は四球を選ぶも巨人側アピールで山崎はアウトとなり、打順は正規の...
1950年

1950.3.28

【職業野球新聞 1950年3月28日】国鉄スワローズ新人仲川翠投手がプロ初登板するも先頭打者の松竹ロビンス平野謙二三塁手に本塁打を浴びる。プロ初登板初打者被本塁打はセ史上初。仲川投手は東都大学リーグで活躍していた投手で、球団創設にあたって選...
1950年

1950.3.26

【職業野球新聞 1950年3月26日】他紙報道によると国鉄スワローズ総監督に楠見幸信氏が就任する模様。同氏は慶大黄金期の名中堅手で、現在は倉敷市で後進の育成にあたっている。西垣徳雄監督はそのまま指揮を執る。国鉄はノンプロ鉄道管理局出身者を中...
1950年

1950.3.24

【職業野球新聞 1950年3月24日】三番に入った巨人の「じゃじゃ馬」こと青田昇中堅手が5安打1本塁打3打点2盗塁の大暴れ。公私共に交流がある四番川上哲治選手と共に開幕から打線を牽引している。川上らと研究を重ねて編み出した巻き込み打法はます...
1950年

1950.3.23

【職業野球新聞 1950年3月23日】南海が“守乱”ゲームを制した。試合中盤にかけて阪急守備陣の乱れに乗じて10点を奪い、両軍揃って4失策ずつの荒れた展開で主導権を握った。南海はチームで13安打しながら長打は先発柚木進投手の二塁打のみだった...
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