1950年代

1951.3.14

【職業野球新聞 1951年3月14日】経営悪化を理由に広島カープが「球団解散・大洋と合併」を決定したとNHKラジオが報道も、石本秀一監督が役員会を説得して撤回。カープはこれ迄に寿屋・専売公社・日生・アサヒに球団保有を持ちかけるもまとまらず。...
1950年代

1951.3.1

【職業野球新聞 1951年3月1日】西日本パイレーツを吸収合併した西鉄クリッパースが「西鉄ライオンズ」に名称変更。パイレーツを擁していた西日本新聞が紙上で公募したもので約1万5千通の応募があったという。巨人から招聘した三原脩氏は当初見込まれ...
1950年代

1951.2.25

【職業野球新聞 1951年2月25日】巨人川上哲治、大阪藤村富美男、名古屋杉下茂、松竹小鶴誠の4選手が米3AのSFシールズ春季キャンプに参加。日本球界と関係が深いシールズのレフティ・オドール監督の招待に応じたもので、川上には「将来の日本球界...
1950年代

1951.2.24

【職業野球新聞 1951年2月24日】GHQ経済科学局長ウィリアム・マーカット少将がセ・パ両リーグに対して双方を統制する「職業野球連盟の組織」と「コミッショナー制の採用」を勧告。開幕に間に合わせるようにとも加え、関係者は対応に大わらわ。少将...
1950年代

1951.2.19

【職業野球新聞 1951年2月19日】セ中村三五郎理事長(ドラゴンズ代表と兼務)がオープン戦中止を発表。セ・パ間での選手引き抜き泥沼化が理由。1949年オフの球界再編以降引き抜きが常態化しており、契約や移籍金を巡る争いが泥仕合になっている。...
1950年代

1951.2.7

【職業野球新聞 1951年2月7日】西鉄との合併に伴って西日本監督から西鉄監督に横滑りした前巨人総監督の三原脩氏を後追いするように1月20日に巨人を退団した青田昇選手が巨人復帰。「自分の問題で両リーグの協調が破れては申し訳ない。三原さんに了...
1950年代

1951.2.6

【職業野球新聞 1951年2月6日】中日ドラゴンズを保有する名古屋野球株式会社の経営に名古屋鉄道(名鉄)が参加。親会社である中日新聞社と名鉄が隔年でドラゴンズの経営を行うという異例の体制で、球団名も「名古屋ドラゴンズ」に改称する。1951年...
1950年代

1951.1.30

【職業野球新聞 1951年1月30日】三原脩巨人総監督が監督として転籍したセの西日本がパの西鉄との合併を電撃発表。「連盟を牛耳る旧球団の一部」と名指しを避けながらも巨人の暗躍を批判し、「セの圧迫には耐えられない」との声明を出した。水面下で巨...
1950年代

1951.1.20

【職業野球新聞 1951年1月20日】西鉄との合併が囁かれる西日本監督に巨人三原脩総監督が転籍すると発表した件について、巨人代表が承諾していないとして不快感を表明。また巨人主力青田昇選手が退団の意向を示したことについても認めない方針。青田選...
1950年代

1951.1.19

【職業野球新聞 1951年1月19日】西鉄との合併が囁かれている西日本監督に巨人総監督の三原修氏が18日に就任。合併との関連を指摘する声も。三原氏は19日、「三原脩」と改名。南海選手を殴打した「三原ポカリ事件」、水原茂選手冷遇に端を発した「...
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