プロフィール代わりのこれまでのいきさつ(読まなくても本筋とは何の関係もないので大丈夫です)

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▼これを書いている人の代理イメージ(こんな笑い方しているらしいです)

どうも初めまして。当ブログ[職業野球新聞blog]へようこそ。

私はここを趣味と実益を兼ねて運営しているteam.glovetossの斎藤という者(※)です。

一体 私は誰で、ここは何なのか。お忙しい方の為にざっくりお話しすると、

  • 私 斎藤は広告会社と提携した野球ビジネスを展開する会社を運営しています(コロナ禍で一部休業中)。
  • 昔のプロ野球で起こった出来事を「職業野球新聞」と称してほぼ毎日twitterで更新しています。
  • 2つ更新していまして、1950年版(→こちら←)と1990年版(→こちら←)です
  • twitterだと文字数制限があるので当ブログにてアーカイブ・補足しています。
  • 当ブログ、twitter等の一連の動きは一応事業というテイですが半ば趣味を兼ねています。
  • 野球ビジネスは開店休業状態ですが、他の広告事業にも手を出しています(→こちら←)。
  • ここを作るに至ったいきさつは下に書いてありますが、長いのでダイジェスト版をどうぞ(→こちら←)。

▲(※)私、「ローカル路線バスを乗り継ぐ番組」が結構好きなのですが、その番組にレギュラーとして出演なさっていた方がホテル予約の為に電話をする度に「すみません、蛭子という者なんですが」といつも言い始めるので、いつしかそれが自分にうつってしまいました。すみません。

2003年4月 ビジネスパートナーと出会う

現在のビジネスパートナーである人物と出会う。

当時通っていた東京にある大学のゼミで現在のビジネスパートナー氏と出会いました。

野球の話で意気投合し、水曜日のゼミの後は一緒に遊びに行くこともしばしば。

応援しているチームは別で、向こうが応援している盟主的なチームが私の応援している当時最弱と呼ばれたチームをコテンパンにする度に抗議をしました。

戦力も引き抜かれましたし、そもそも資金力が(この話は長くなるので割愛)

とにもかくにも、この出会いが割と私の進路を(良いか悪いかは別として)大きく変えていくことになりました。

▲政治学系のゼミにいました。当時指導してくださった教授は近年テレビ等でよく見かけるようになりました。ゼミの写真を「いらすとや」様で探したのですが、探し方が悪かったのか時間を惜しんだせいなのか見つからなかったのでセミの写真で代用しました。申し訳ありませんが想像で補っていただけると助かります。

2003年夏 年間30試合ぐらいの試合観戦

この頃から大学の講義の合間を縫って年間30試合ぐらいは球場観戦するようになる。

講義の合間を縫ってと言いましたね。

すみません、あれは嘘です。

 

▲嘘つきのイメージ図。左の顔が笑って嘘をつく人。右の顔が本心だと思われます。

講義を自主休講にしたこともしばしばありました。

大学在籍当時は横浜から東京まで通っていたのですが、地元でゲームがある時は試合開始時刻に間に合わなかったんです。

私はプレーボールがかかって1球目から見ないと嫌というタイプなので、夕方の講義は出ないこともありました。

このことが後々問題となります。

2003年〜2004年 研究費で野球本

諸般の事情で大学から支給されていた研究費・書籍費の大半を費やして神保町の古書店で野球本を買い漁る。後で成績が落ちて面談。怒られる。

▲怒られたイメージ図。この図で十分かなと思いましたが、これでも表現が足りなかったかもしれません。もっとドーンと来てガシャーンとやられた感じがします。

後々問題というか、すぐに大問題ですよ。

当時私は、諸々の事情で大学からの支給される奨学金で学費を賄っていて、身も蓋もない言い方をすれば大学に一銭もお金を払わずに通っていました。

そればかりか、そこの大学は毎月「書籍を買って研究に勤しみなさい」という名目で幾ばくかのお金までくれたんです。

もちろん、本は読みましたよ。乱読しました。

野球本ですけど。

そりゃあだって、神保町にキャンパスがあったんですよ、古書店の王国ですよ。

昔の野球本だらけですもん。

今も押入れの中にはドラえもんではなく、大量の野球本が寝ています。

何冊あるかはもはや不明です。

願わくばずっとそんな時間が流れれば良いとは思いましたけど、始まりがあれば終わりもあります。

成績が落ちまして、学長と指導教授から呼び出されて大目玉です。

学費等の打ち切りもちらつかされましたが、心を入れ替えて成績を維持させました。

本も野球だけでなく様々なジャンルの本を読み漁りました。

お金がかからない図書館で、ですけど。

 

▲今も図書館には大変お世話になっています。住んでいる横浜市の場合、市立図書館の蔵書web検索システムで本を探して取り寄せると、住んでいる街まで移動図書館のお車が運んで来てくれます。2週間に1度おまとめして持って来てくれるので図書館受け取りよりも便利です。図書館受け取りだと予約待ちの本が来たら直ちに図書館まで受け取りに行かないといけませんが、移動図書館受け取りだと2週間に1度のおまとめ受け取りになります。返却も移動図書館のお車でOK。図書館からそこそこ離れている若干交通の便が悪いところに住んでいて良かったと思える瞬間です。この細かい字をここまで読んでいる人は凄い!実はこれ、その移動図書館帰りに喫茶店で書いてます。全く本筋とは関係ありませんが。

2005年春 ハマスタ近くの職場

横浜スタジアムが近いという理由で入った会社(システム部門等、その他いろいろ)、でなんやかんや働き始める。

そんな人間ですから、「やっぱ勤めるところはプロ野球に関係あるところがいいよね」等と勝手な思い込みをする訳です。

職住接近ならぬ、職球接近。

いやいや接近どころか生活と野球が一致しないと。

政教一致ならぬ、生球一致だー、と言わんばかりにプロ野球に近いところに突き進むべく色々な方にお会いしました。

野球系の出版社に飛び込んでみたり、今は合併して別の名前になりましたが当時は青い波球団にいたどこでも守れる助っ人外国人の代理人とマネジメント業務をやっている方にお会いしたり、とあるプロ球団にアプローチしてみたり…。

結局はそれぞれお祈り以前に一般の募集をしていなかった訳ですが、それでも収穫はありました。

「お。この道は甘くないな」と気づいたのです(遅い)

▲当時は球場との距離を縮めることで必死でした。コロナ禍に見舞われた今は人との距離を伸ばすことに必死ですが。

やむを得ず(?)ふつーの広告関連会社で働き始めました。そこから球場への距離を縮めていく作戦に出たのです。

まずは球場から5Km圏内。次に3Km圏内。

さらに紆余曲折を経て球場の隣りへ。

ところが近づけば近づくほど、何故か球場に行く機会が減っていきました。

心を亡くすと書いて忙しい。野球を観る体力はあったのですが、いかんせん仕事よりも先にナイターが終わるのでは仕方がありません。その内、気力も萎えていきます。

あー、これは環境を変えないといけないな、トレード志願かな、FAかな、それともセルフ戦力外かな、そう思っていた矢先のことでした。一本の電話が私の元に入るのです。

たぶん2010年の冬頃 一本の電話

あー、ここで何か熱い誘いとか、夢のある展望とか、渡りに舟的な、ご都合主義的な、何かこうラッキーなイベントが起こる電話だったら良いんですけどねー。

横浜駅からJR根岸線で南下中、石川町駅付近で電話がかかってきて、広告会社勤務のビジネスパートナー氏が興奮した様子で何となく独立志向・野球ビジネス系会社の設立を口にする。そうだなと応じる。

これ以上でもこれ以下でも無いです。

例のビジネスパートナー氏はお酒を召されているご様子で、こちらは球場の「きゅ」の字も無い都内某所への転勤が決まりそうでやさぐれていたこともあったんでしょうが、話の具体的な内容については正直あまり記憶が無く、「何か一緒にやろーぜ」みたいな電話があったことしか覚えていません。

当時石川町駅の上下線ホームの壁にはどこかの学生さんが独特で奇抜なタッチで描いた「中華街とたくさんの子供」のイラストがありまして、これを見ながら電話を受けていました(この記憶は鮮明)。

今となっては転機は間違いなくここなんだなとわかるのですが、当時は受け流していたのです。

イラストの一種異様な子供の数をひとつふたつと数えながらビジネスパートナー氏と電話していました。

まあ、今では私が経営者。彼は主要株主。何故なら彼は特別な存在だからです…

…等とバター飴のCMみたいな事実があるのですが、その時はドラマチックなことは何ひとつありませんでした。

▲まさかこんなイラストまであるとは。さすが「いらすとや」様。ヴェリーGoodでルターもびっくりスるオリジナルな存在ですね。

実際、この何ヶ月か後に来る大震災で話は雲散霧消してしまいます。

現実というものは得てしてそんなもんなんでしょう。

再び独立機運が高まるのは、2015年頃に横浜駅東口ポルタにある居酒屋で盛り上がってその場で色々と会社設立を計画した時ですが、これも特段劇的な展開も無く、地味な展開なのでバッサリとカットします。

時は一気に2016年まで飛びます。

2016年頃 球界関係者

ご縁があってプロ野球のOBの方々に幅広くリーチできる人物と出会う。

 

これまでのあらすじ

大学で現在のビジネスパートナー氏と出会った私 斎藤は、本当に学生だからええやろとばかりに、真性の学生気分のままお金と時間の無駄遣いをすることで野球を学ぶ。社会人になって広告会社勤務のパートナー氏からの野球ビジネス系会社の設立・独立の誘いを聞き流しつつも、結局はそっちの方へ流れていくのだった。

そして2016年ーーー

 

ビジネスパートナー氏がひょんなことから、プロ野球界のストライクゾーンど真ん中辺りの関係者の方とお知り合いになります。

あんまり詳しく書くとアレなのでソレなのですが、その方には随分と懇意にしていただきまして、そこから一気に球界への道が開けていくことになっていきます。

ある時はプロ野球OBの方のファンとの集いを企画・運営しました。

またある時はとある球場でテレビ出演経験のある審判員の方と一緒に無冠の帝王として有名なホームランバッターも来ていた野球大会の運営をしました。

さらにまたある時は複数のプロ野球OB団体の方と共同でプロ野球系イベントの企画・運営をすることもありました。たくさんのOBの方のお店で幾度となく会合も開きました。

他にも、野球カードのイベント、スポーツ新聞記者OBの方とテレビ番組の企画、OB団体のSNS発信を担当、独立リーグの取材、有名野球系Youtuberの方との邂逅、野球系芸人と方と一緒に汗を流したこともありました。

実に様々な野球的な出来事的な何かが一気に押し寄せてきたのが2016〜2017年という年だったんですね。

すっかり気を良くした我々は、明くる2018年、ついに、うっかりと、株式会社を設立してしまいます。

▲会社の成長という大望の華を咲かせようとしていたありし日の斎藤とビジネスパートナー氏のイメージ図。あの日二人が見た泡沫(うたかた)の夢。

2018年 うっかり会社設立

うっかり本当に株式会社を設立してしまう。

いやあ、会社って本当にものの弾みで作れちゃうもんなんですね。

ちょちょっと何枚か書類を作って、ぱぱっと手続き踏んで、ちゃちゃっとあちこちに提出するともうできちゃうんです。

『ドラえもん』の第1話で「(就職できなくて)自分で会社を興した未来の野比のび太」が写っている写真が出て来るシーンがありまして、昔初めて読んだ時、子供心に「いやいやのび太、自分で会社作るってすげーじゃん」とか思ったものですが、まさか自分が実際に作ることになるとは。

しかも別段すげーことも難しいこともなく、割とかんたんに会社というものは作れてしまう…

未来のび太のように花火で会社が丸焼けにならないようにすべく、自前で野球イベント主催・企画を構想し、いよいよ本格稼働状態に移行しようとした矢先、皆様御存知の通り世界中が新型コロナ禍に見舞われます。

▲おのれコロナ

丸焼けはしていませんが火だるま同然。

会社の設立はかんたんです。会社の維持がたいへんです。

そんな最中、私 斎藤はコロナ新生活でできた時間を使って、プロ野球セ・パ両リーグの始まりの年である1950年シーズンの歴史を紐解いてしまいます。

(訳と補足:コロナで外に出られず暇だから学生時代にあの手この手でかき集めた昔の野球本を読んでいたら1950年頃の野球が謎めいていて素敵だった。今では1990年版にも手を出している。反省はしていない)。

2021年(←今ここ)

コロナ禍が収束しない中、2003〜2004年頃に買い漁った野球書籍等を基に趣味で昔のプロ野球を調べ始める。段々楽しくなってくる。もったいないのでtwitterで試験的に公開し始める(←今ここ)

という訳で、一体ここは何なのか。

野球好きがマヌケにも野球系会社を興し、その一環で趣味同然に昔のプロ野球の出来事をまとめてtwitter(→1950年版←)(→1990年版←)に公開しているものを、さらに加筆修正してまとめているブログ。

 

それがここの正体でした。

今後の方針としましては、様々な他事業にも手を出しながら、ここはここで更新していくつもりです。

平和に野球イベントができる日はいつになることやら。

 

すべては手探り状態ですが、もう少し球界の辺境で生きてみようと思います。

よくわからないプロフィール代わりのいきさつをここまでお読みいただきましてありがとうございました。

もしよろしければ、twitterのフォロー・応援等をよろしくお願いします。

2021年11月26日 team.glovetoss 斎藤

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