1950年代

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1951.2.7

【職業野球新聞 1951年2月7日】西鉄との合併に伴って西日本監督から西鉄監督に横滑りした前巨人総監督の三原脩氏を後追いするように1月20日に巨人を退団した青田昇選手が巨人復帰。「自分の問題で両リーグの協調が破れては申し訳ない。三原さんに了...
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1951.2.6

【職業野球新聞 1951年2月6日】中日ドラゴンズを保有する名古屋野球株式会社の経営に名古屋鉄道(名鉄)が参加。親会社である中日新聞社と名鉄が隔年でドラゴンズの経営を行うという異例の体制で、球団名も「名古屋ドラゴンズ」に改称する。1951年...
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1951.1.30

【職業野球新聞 1951年1月30日】三原脩巨人総監督が監督として転籍したセの西日本がパの西鉄との合併を電撃発表。「連盟を牛耳る旧球団の一部」と名指しを避けながらも巨人の暗躍を批判し、「セの圧迫には耐えられない」との声明を出した。水面下で巨...
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1951.1.20

【職業野球新聞 1951年1月20日】西鉄との合併が囁かれる西日本監督に巨人三原脩総監督が転籍すると発表した件について、巨人代表が承諾していないとして不快感を表明。また巨人主力青田昇選手が退団の意向を示したことについても認めない方針。青田選...
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1951.1.19

【職業野球新聞 1951年1月19日】西鉄との合併が囁かれている西日本監督に巨人総監督の三原修氏が18日に就任。合併との関連を指摘する声も。三原氏は19日、「三原脩」と改名。南海選手を殴打した「三原ポカリ事件」、水原茂選手冷遇に端を発した「...
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1951.1.14

【職業野球新聞 1951年1月14日】松竹小西得郎前監督の後任に新田恭一氏の就任決定的。氏はプロ経験こそ無いものの戦前の天才的選手で、様々な守備位置や打撃を高水準でこなす器用さと禁止以前のスピットボールを操る技術を併せ持つ。卓越した打撃理論...
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1951.1.10

【職業野球新聞 1951年1月10日】セが代表者会議を開催するも西日本パイレーツと広島カープの経営危機問題は議論先送り。西日本は水面下でパの西鉄クリッパースとの合併契約に調印している模様だが、巨人擁する読売新聞は「広島・大洋合併、西日本解散...
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1951.1.1

【職業野球新聞 1951年1月1日】巨人擁する読売新聞が経営危機の広島カープ、西日本パイレーツのセ脱退を前提としたセ6球団化を勧める署名記事を掲載。両球団主力選手流出と巨人による獲得にまで踏み込んでおり、両球団関係者の困惑や反発は必至。返す...
1950年

1950.12.30

【職業野球新聞 1950年12月30日】松竹ロビンスを優勝に導いた小西得郎監督が辞任。田村駒治郎オーナーとの確執を指摘する声も。後任は未定。小西はプロ経験こそ無いものの球界内外に多様なパイプを持ち、その影響力は数多くの新球団設立や選手移籍に...
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1950.12.26

【職業野球新聞 1950年12月26日】広島カープ選手会が球団に対して給料遅配解消要望書を提出していた件で、球団側が12月分給与の支払とチーム再建策を提示。選手会側はこれを受け入れ、全選手退団という事態はひとまず回避された。セ・リーグ加盟金...
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