1950年代

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1952.3.20c

【職業野球新聞 1952年3月20日】大阪4-0名古屋/甲子園での開幕戦。日鉄鉱業二瀬から獲得したルーキー三船正俊を開幕投手に抜擢した大阪タイガースはこの大胆起用が的中。三船は名古屋打線をわずか4安打に抑えて新人開幕戦初登板初勝利を完封で飾...
1950年代

1952.3.20b

【職業野球新聞 1952年3月20日】統一契約書締結遅延を発端とした広島長谷川良平移籍問題は、NPB福井盛太コミッショナーの「統一契約書の意義は引き抜き防止であり、移籍は球団間の信義に反する」との裁定を長谷川が受諾して残留で決着。帰広した長...
1950年代

1952.3.20a

【職業野球新聞 1952年3月20日】新たに発効した野球協約の規定によりフランチャイズ制(プロ野球地域保護権・各球団が都道府県単位の排他的保護地域を設定可能で、域内の専用球場でホーム試合の半数を主催する義務がある)が今季より導入される。まず...
1950年代

1952.3.10

【職業野球新聞 1952年3月10日】統一契約書締結遅れに端を発した広島長谷川良平移籍問題について、日本野球機構福井盛太コミッショナーが「統一契約書の存在意義は選手の引き抜きを防ぐためであり、球団間の信義に反する」と長谷川側の移籍の訴えを却...
1950年代

1952.2.29b

【職業野球新聞 1952年2月29日】大阪球団オーナーに阪神電鉄野田誠三社長が就任へ。同氏は24年に甲子園球場設計主任着任。「日本一大きい球場を」「スタンドは30段に」という上役の建設指示に「どうせなら50段に」と返して甲子園を巨大球場にし...
1950年代

1952.2.29a

【職業野球新聞 1952年2月29日】真田重男を大阪に放出したばかりの松竹が今度は岩本義行、江田貢一、荒川昇治、木村勉の大洋移籍を発表。さらに大島信雄が名古屋に移籍する。松竹球団はオーナーでもある田村駒株式会社が朝鮮特需による歪な輸出構造の...
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1952.2.23

【職業野球新聞 1952年2月23日】松竹球団は真田重男投手に戦力外通告をしたと発表。同日直ちに大阪球団が獲得に動き、主力真田の電撃移籍が決まった。真田は51年こそ右肘痛で7勝に留まったものの、50年にはシーズン39勝を挙げる等ここ迄通算1...
1950年代

1952.2.11

【職業野球新聞 1952年2月11日】統一契約書締結の遅れから移籍問題に発展した広島長谷川良平投手について、就任したばかりのセ鈴木龍二会長が「広島球団の承諾なくして他球団移籍は認めず」との裁定を示した。水面下では名古屋球団のみならず複数球団...
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1952.1.31

【職業野球新聞 1952年1月31日】年末から主力移籍が相次いでいる。巨人藤原鉄之助・大洋大沢伸夫・東急野崎泰一が広島へ、広島辻井弘が国鉄へ、南海松本忠繁・長沢正二・松葉昇が東急へ、西鉄長谷川善三が毎日へ、大映池田善蔵が阪急へ、西鉄鬼頭政一...
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1952.1.27

【職業野球新聞 1952年1月27日】セ・リーグ松島鹿夫会長が辞任し、後任に鈴木龍二氏が就任へ。鈴木氏は戦前に大東京軍球団代表、日本野球連盟理事を歴任。戦後には日本野球連盟会長に就任し、その後理事を再び務めた。新聞記者出身で政界・官界に幅広...
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