1950年

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1950.12.30

【職業野球新聞 1950年12月30日】松竹ロビンスを優勝に導いた小西得郎監督が辞任。田村駒治郎オーナーとの確執を指摘する声も。後任は未定。小西はプロ経験こそ無いものの球界内外に多様なパイプを持ち、その影響力は数多くの新球団設立や選手移籍に...
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1950.12.26

【職業野球新聞 1950年12月26日】広島カープ選手会が球団に対して給料遅配解消要望書を提出していた件で、球団側が12月分給与の支払とチーム再建策を提示。選手会側はこれを受け入れ、全選手退団という事態はひとまず回避された。セ・リーグ加盟金...
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1950.12.24

【職業野球新聞 1950年12月24日】西日本パイレーツ小島利男外野手兼任監督が勇退。後任に球団職員の大塚正男氏が就任へ。小島は1946年にパシフィックを退団後にそのまま球界を引退していたが、今季から現役復帰して兼任監督として西日本を率いた...
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1950.12.7

【職業野球新聞 1950年12月7日】カープ選手会が広島球団に対して給料遅配解消の要望書提出。全選手退団も辞さずとの通告も行った模様。県内各自治体からの出資金不足の上、敗戦チームに不利な入場金分配ルールにより収入が少なく、50年シーズン早々...
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1950.11.30

【職業野球新聞 1950年11月30日】毎日オリオンズ福島慎太郎球団社長がパ・リーグ会長兼務へ。同氏は1949年に毎日新聞社がオリオンズを設立した同年9月に球団社長に就任。大阪タイガースからの主力引き抜き騒動にあっては批判の矢面に立ちながら...
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1950.11.28

【職業野球新聞 1950年11月28日】毎日8x-7松竹/日シリ6戦。松竹岩本義行の2発で3点先行も、毎日が四回迄に三者連続適時打等で7得点。松竹は前々日完投の大島信雄が3連投。2犠飛、押し出し、適時打で終盤同点としたが、延長十一回二死一二...
1950年

1950.11.27

【職業野球新聞 1950年11月27日】松竹2-3毎日/日シリ5戦。初回に1点ずつ得点して1-1で迎えた四回、松竹が犠飛で勝ち越すも七回に毎日が食らいついて同点。九回、毎日が西本幸雄が安打で出塁。二死二塁で松竹は昨日完投の大島信雄を投入する...
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1950.11.26

【職業野球新聞 1950年11月26日】毎日3-5松竹/神宮、後楽園、甲子園と転戦してきた日シリの第4戦は、中3日で毎日若林忠志、松竹大島信雄両先発が西宮にて再び激突。1-1の四回、松竹は四番岩本義行に一発が出て流れを掴み、終盤迄に4点リー...
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1950.11.25

【職業野球新聞 1950年11月25日】松竹7x-6毎日/日シリ3戦。2勝先行の毎日が2点先取。四回に26勝新人左腕荒巻淳投入もこれが裏目で松竹が逆転した。荒巻は意地で後続を断つと七回に自らのランニング本塁打で再逆転。ところが九回暗転。最後...
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1950.11.24

【職業野球新聞 1950年11月24日】松竹対毎日の日シリ移動日にあたるこの日、NPB二軍チームに「一軍を持たない独立二軍チーム」である山陽電気鉄道傘下の「山陽クラウンズ」を加えて計10球団で開かれた「第1回マイナーチーム選手権大会」決勝戦...
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