1950年代

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1952.12.24

【職業野球新聞 1952年12月24日】毎日球団は福島慎太郎社長が辞任すると発表。リーグ発足以降、各球団の持ち回りで担当し、球団社長と兼務してきたパ・リーグ会長も辞任する。同氏は元外務省官僚で、内閣総理大臣秘書官、内閣官房次長を歴任。194...
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1952.11.28

【職業野球新聞 1952年11月28日】毎日球団は湯浅禎夫氏が1953年シーズンから総監督に復帰すると発表。若林忠志二軍監督も一軍監督に復帰する。両者は7月16日のいわゆる「平和台事件」の責任を取る形で同27日にそれぞれ更迭・降格処分を受け...
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1952.11.20

【職業野球新聞 1952年11月20日】球団数削減を念頭に置いたと見られる「シーズン勝率が3割を切ったチームを処罰する」とのセ・リーグ申し合わせについて、勝率3割を下回った松竹ロビンスを保有する「田村駒」の田村駒治郎オーナーが17日に球団売...
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1952.10.18

【職業野球新聞 1952年10月18日】巨人3-2南海/巨人3勝、南海2勝で迎えた日本選手権第6戦。もう負けられない南海は初回、一番蔭山和夫が粘って四球を選ぶと、直後にレギュラーシーズン本塁打0の新人森下正夫が「プロ初」となる2ラン本塁打を...
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1952.10.16

【職業野球新聞 1952年10月16日】南海4-1巨人/巨人が3勝と王手をかけて迎えた日本選手権第5戦。反転攻勢に出たい南海は1点を追う一回裏、四番飯田徳治の適時二塁打で同点にした後、三回には相手失策に乗じて、野選、犠飛、内野ゴロの間に得点...
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1952.10.15b

【職業野球新聞 1952年10月15日】南海2-6巨人/巨人2勝南海1勝で迎えた日本選手権第3戦。南海はシーズン16勝の服部武夫を立てて序盤は順調に立ち上がったものの、四回に服部が捉まって巨人四番川上哲治に先制打を浴びた。四回裏にすかさず同...
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1952.10.15a

【職業野球新聞 1952年10月15日】広島球団後援会に松竹ロビンスの主力選手である小鶴誠や金山次郎らを広島に移籍させようとする動きが出ている。12日に松竹が勝率3割を下回ることが決まり、開幕前に「シーズン勝率が3割を切ったチームを処罰する...
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1952.10.14

【職業野球新聞 1952年10月14日】南海4-0巨人/日本選手権第3戦。巨人に2勝先行されて本拠地大阪球場に戻って来た南海は、優勝を決めたリーグ最終戦で完投したエース柚木進が中4日で先発した。初回、五番堀井数男が巨人先発大友工から適時二塁...
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1952.10.13b

【職業野球新聞 1952年10月13日】大洋1-8松竹/下関市営球場での試合。松竹が今季最終戦で勝利した。初回、三村勲の2点適時打で先制すると、主砲小鶴誠らの追加点で試合を優位に運んだ。投げては先発のベテラン井筒研一が50年シーズン以来の白...
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1952.10.13a

【職業野球新聞 1952年10月13日】広島6-0国鉄/広島はこの日が最終戦。広島県総合グランド野球場には2千人が来場した。先発した新人榊原盛毅が初回を無失点で切り抜けた後の二回、広島はエース長谷川良平を投入。長谷川が国鉄打線をねじ伏せると...
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